2012年03月25日
人選が本当にきつかったこと
創業から1年半たった頃に、森永製菓の全国キャンペーンの業社に選定されました。キャンペーンが始まる時期に会議があったのですが、その場で何ライン手配出来るかという質問がありました。その時期せいぜい30ラインだったのですが、100ライン行けると豪語してしまいました。その頃は若かったので、勢いだけは良く、本当に依頼が来たらその時何とかすればいいと思っていました。すると本当に依頼が来だしました。喜んでいたファックスが徐々に怖くなった時もありました。
毎日明日の人選をする時期が続きました。毎日1人で事務所に残り、後2名は現場に行っていました。1人で、人選・面接・受注~全てを行っていて、それでも夜20時になっても、明日の現場のスタッフが決まっていないということばかりでした。そして最大にきつかった日があります。前日20時で15名程姫路の現場で空きがあったのです。今まで何とかしてきたけど、この時ばかりはやばいという空気が3人の中にありました。少しビールを飲んで、勢いを付けて、とりあえず仲のいいスタッフさんに片っ端から電話して、友達を連れてきてもらって、車3台で、スタッフを乗せて姫路まで行こうという話になりました。
次の日、朝6時御池通りを、白シャツに黒スカートの若い女の子が、ずらずらと歩いてくる姿を今も忘れられません。恐らく2名程余分に集まってくれました。
諦めなければ何とかなると実感した日でした。二回りぐらい自分たちが大きくなった気がしました。
毎日明日の人選をする時期が続きました。毎日1人で事務所に残り、後2名は現場に行っていました。1人で、人選・面接・受注~全てを行っていて、それでも夜20時になっても、明日の現場のスタッフが決まっていないということばかりでした。そして最大にきつかった日があります。前日20時で15名程姫路の現場で空きがあったのです。今まで何とかしてきたけど、この時ばかりはやばいという空気が3人の中にありました。少しビールを飲んで、勢いを付けて、とりあえず仲のいいスタッフさんに片っ端から電話して、友達を連れてきてもらって、車3台で、スタッフを乗せて姫路まで行こうという話になりました。
次の日、朝6時御池通りを、白シャツに黒スカートの若い女の子が、ずらずらと歩いてくる姿を今も忘れられません。恐らく2名程余分に集まってくれました。
諦めなければ何とかなると実感した日でした。二回りぐらい自分たちが大きくなった気がしました。
Posted by 岡野泰也
at 00:00
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